先日、卵をかまぼこのすり身で包んで揚げているというものを食べた。
卵が半熟でナイフを入れると、とろっと黄身があふれ出す。
かまぼこというとプリッとした食感が特徴のものが多いが
このかまぼこはふわっふわで、かまぼこの概念を覆された。
そんな、裏切られる食感というものも、最近では魅力となるのだろうか。
人は、意外性に惹かれる。
味覚も意外性を求めているのかもしれない。
五感の中で、味覚だけは磨かれていると感じることがある。
味覚は、生きていくうえで、毎日必ずと言っていいほど、使われる。
生きていく上で食べることは必要なことだ。
どうせ食べるならおいしいものを食べたいと思う人が
味覚を進化させる。
一方、気分が落ち込んでいるときは、おいしいものを食べても
何も感じないこともある。
味覚は、気持ちやどんな状況で食べるかに左右される。
見た目や、香りも必要。
舌で感じる味覚のみでは、おいしいと感じることが難しい。
では、目隠しをして食べ物を口に入れた時
どう感じるのだろう?
そうなると、食感が大事ということになるのか。
裏切るも裏切らないも関係なくなる。
しかし、果たして、それはおいしいと感じるのだろうか。
機会があれば、試してみたい。
日本には四季がある。
日本人は、夏を涼しく過ごす工夫を昔からしてきた。
音で感じる涼しさもその一つ。
代表選手の風鈴。
風の鈴という名前も素敵だ。
風を音で感じる風鈴。
一方、暑さを倍増させるセミの声
暑苦しさを感じる声だけど、想像してみて
セミが鳴かない夏。それは、
それでなんだか夏らしくない。
勝手なものだ。
私たちは、そんなことを何となく感じながら
過ごしている。
そんな、なんとなく過ごしていることを
少し気にしてみると、四季を楽しむこともできる。
私たちの先人はいろいろな工夫をしながら
四季を楽しんできた。
エアコンのきいた部屋で、遮音性能のいいサッシを閉め
じっとしているのも一つの過ごし方かもしれないが
夏を楽しむ生活を試みてはいかがだろうか。
私は、いい音の風鈴を買ってみる。